永遠に片想いの人と永遠に話せる話
おはようございます。寒がりなくせに厚着をしたくないのでいつも外に出て「さむ!」と言っているはっさくです。(寒そうとよく言われる)
さて、今日は#永遠に片想いの子 と一緒に阿佐ヶ谷にあるバーに行ってきました。(お店の方が昆虫食に詳しい方でお話を聞きに)
どういった経緯で昆虫食に興味をもったのか、どういったイベントをされているのか、などなど色々な話(後半は愛媛や野球の話)を聞かせてもらって大変勉強になりました。
帰りの電車で#永遠に片想いの子 と話して、感情の言語化について話してて、「もっとみんな感情と向き合って言語化した方がいいよね」という話になりました。(多分この話題は彼女となら永遠に喋れるくらい面白い)
バズったとか、こうすればうまくいきますみたいなノウハウは別に興味がなくて、僕たちが読みたいのはあなたの物語なんだよね。っていう話。
だからもっとみんな自分の感情と向き合って言語化してほしいけど、それって普段言語化する癖がない人って難しいんじゃないか、と思って、だからTwitterで本質を捉えきれてないくだらない投稿が多いんだろうな、と思いました。
なんで言語化しないんだろう?って考えた時に、まず一つ目は思考が大変だということ。
言語化するためにはなんでそう思ったのか、感情を深掘りして言葉と結びつける作業は考えないとできないことです。
それから二つ目は「怖い」。
自分の言葉は意外と重くて、(誰かの言葉を借りた方が軽い)受け入れてもらえないかもしれない恐怖心から言語化できないのではないかと。
そう考えると、自分の好きなもの、感情を素直に話し合って受け入れ合う事ができたキャンプはやっぱり半端ない体験だったよねっていう所で着地。
彼女が「私達の初っ端の会話で『無人島行きたい』とか『村作りたい』っていう話してたのほんとうに頭おかしいよね」って言ってて、
(初っ端っていうのはアイスブレイク後に初めてがっつり話した時)
たしかにこんな話受け入れてくれること前提じゃないと話せないなぁと改めて思って、これを自然と受け入れ、言語化できたのは本当に最高だったし、今でも会話がめちゃくちゃ面白いんです。
僕が普段彼女に話す内容を同じ熱量で他の人に話すとだいたい笑われるか、流される笑
言語化の癖とかそうじゃなくて、もしかしたら受け入れ態勢の問題なのかもしれない。
僕は100人に無視されようが、1人でも受け入れてくれる人がいるから言語化できるのかもしれない。
その言語化が一体何の役に立つのか。
やればわかるよ。
言葉は永遠に残る。
感情と向き合って、考えて、思考を言葉にしよう。
[深夜徘徊]山梨県の山奥で深夜徘徊してたらとんでもない生命体に遭遇した(提供ミッチー様)