標本の価値について
おはようございます。友達が見ていた鬼滅の刃を見始めたら少しハマりそうになっているはっさくです。
さて、今日は珍しくYouTubeチャンネル「テトラノーム」の視聴者様からのリクエストにお応えしたいなぁと思い、記事を書きます。
「ラベルの有無に関する標本の価値について、僕が話す動画がみたい」とのことでした。
動画はまだ撮ってませんが、撮る前の文字起こしということで、ご了承ください。
まず、「標本の価値」というのはいくつかあると思っていて、大きく分けて2つ。
1つは生物学的な学術価値。
2つ目は昆虫の色や形を見る芸術的価値。
概ね、この2つだと思います。
そして、我々、虫屋(主に昆虫を捕まえて標本にしたりしてる人たちのこと)界隈で、よく言われているのが、
「ラベルの無い標本はただの死骸(干物)だ」
標本というものは、その昆虫がいつ(採集年月日)、どこで(採集場所)、誰が(採集者名)、何を(採集した標本の名前)採集したのかを記録する為に「ラベル」を付けるのが一般的です。
つまり、「データの無い標本はどれだけ綺麗に足を整えていようが、ただの乾燥した死骸だ」というのが、虫屋界隈ではよく言われています。
一方、虫に詳しく無い人が標本を見た時に思う点は、「色や形が綺麗」がほとんどです。
この人達は、ラベルを見てはいないし、どこで誰が採集したのかなんて多分興味がありません。
ダイレクトに昆虫の魅力に対して、価値を見出している人達だと思っています。
もちろん、僕は昆虫展などで標本を見る時は「どこで採集したのか」など、「どの時期に採集したのか」が気になりますが、他の人の見方は違います。
つまり、何が言いたいかというと、
「見る人によって価値の見出し方はそれぞれ違うなぁ」ということです。
僕的には、やっぱり昆虫の魅力をダイレクトに伝えたいという思いがあるので、虫屋界隈が素人に対して「ラベルが無いものはダメだ」とマウントを取りにいくのはちょっと違うような気がしてます。
それは単に自分の価値を他人に押し付ける行為で、虫に詳しくない人がダイレクトに魅力を感じているのに、横から石を投げるようなことはしなくていいと思っています。
どっちの言い分もわかるので、「ラベルの有無に関する標本の価値」についての解は、
「見る人によって価値の付け方は変わるので、人それぞれで良い」
です。
昆虫にも様々な多様性があるように、我々人間の価値の捉え方も多様であるべきです。
ちなみに、去年僕が主催企画運営した「虫がよすぎる展覧会」という昆虫展で展示した標本のほとんどはラベルをつけていません。
ダイレクトに昆虫の魅力を伝えられるように意識して作りました。
このように標本の用途(人に見せるのか自分で管理するのか)によっても変わるなぁと思いました。
とりあえず以上です。
動画ではもう少し詳しく話すと思うので少々お待ちください!
それではまた明日!
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