「コロナ許せない!」と言う事の違和感
おはようございます。どうやらこの時期の就職活動はオンラインで面接をするみたいです。(なかなか面白いなぁと思ってしまいました)
さて、昨日はオンラインで話合いをしたのですが、やはりこういう状況だからこそ、ある程度人と喋ったほうがいいなぁと感じました。
昨日は大雑把にコロナについて話をしたのですが、今後も色々な話題で話をしたいと思っています。
「コロナ許せない!」の違和感について考えてみたのですが、僕はこれに対しては結構疑問で、「別にコロナが悪いわけじゃない」という考えです。
災害にちょっと似てるような気がしてて、
去年大学で「災害社会学」という講義を受講していたのですが、そこで、「災害には2つの要素がある」ということを学びました。
1つは、「ハザード」つまり「自然的な要因」です。地震の例が1番わかりやすくて、プレートの摩擦によって起こった現象(地震)がハザードにあたります。
2つ目の要素が「バルネラビリティ」で「社会的な要因」です。
例えば、地震による公共交通機関の乱れや、津波を防ぐ防波堤の有無、地震発生後の注意喚起や政府の対応、制度、などの要因から起こるダメージの事です。
つまり、社会的脆弱性を意味します。
今回のコロナ騒動も同じような感じで、コロナ自体は「自然的な要因」であり、どうする事もできませんが、「社会的な要因」をより強化すれば被害は軽減するという考えです。
「コロナ許せない!」の違和感はココ。
「地震許せない!」といっているようなもんで、プレートの摩擦なんて僕らがどうにかできる問題でもないのに、そこに感情を使ってもあまり意味がありません。
コロナが出てきた事自体はもう仕方ないのだから、その後の社会のあり方や対応の脆弱性が問題なのであって、「コロナ許せない!」で思考停止せず、考えるべきはそっちだと思っています。
今僕たちができることを考えて、正しい情報を得て恐れず、前向きに最悪の事態を考えることが大切です。
どうか、「コロナ許せない!」で思考停止するのではなく、「社会的脆弱性」をどうしていけば乗り越えられるのかを一人一人がもっと考えましょう。
治療薬はどうかわからないですけど、ワクチンは12ヶ月〜18ヶ月かかります。
コロナは今だけでなく長期的な問題になると思うので、信頼できる情報以外ある程度シャットアウトすることも大切だと思います。(精神衛生も大事だよ)
ちなみに、僕はTwitterのワードミュート機能で「コロナ」や「ウイルス」などのワードをミュートしています。(かなり快適になったのでオススメです)
大変だけど頑張ろうね!
それではまた明日!