「コロナ終わったら」という言葉の違和感
おはようございます。ホームセンターで家庭菜園用の土や野菜や植物がバカ売れしてて、「やっぱりそうなったか」と誰でもできそうな読みが的中してドヤ顔してるはっさくです。
のちにドヤ顔することになった記事はこちら↓
さて、生活リズムを変えてから今日で3日目を迎えました。起床時間に多少の誤差はあるものの、なかなか充実した毎日を過ごしております。
ちゃんと1日を過ごすと、21時あたりから眠くなってきます。(眠くってきたら寝るスタイルは気持ちいい)
そういえば、初日は夜行性の名残で朝の6時近くまで起きていたのですが、2日目は1時くらいに寝れました。
午前中に勉強して、午後はほとんど趣味の時間なので楽しいです。ちゃんと1日が楽しい。
今日は天気も良く、過ごしやすい気温だったので外で本を読んだのですが、これがまたイイ。(ただ、虫が飛んでくると気になってしまうところが難点)
家の中で読むより疲れない感じがします。
それから1番変わったなぁと思うのが、「お酒を飲まなくなった」ことです。
筋トレを再開したので、トレーニングした日はお酒を飲まないようにしています。いつもはほぼ毎日夜中に一本空けていたのですが、今週はまだ一本も飲んでいません。(褒めて)
お酒を辞めたい人はトレーニングするといいと思います。(お酒の替わりにプロテインを飲むようになります)
いや、すみません。書いてて思ったのが、「お前の日常なんて興味ねぇよ」だったので少し話題を変えます。
SNSでよく見かける、
「コロナ終わったら〇〇しよう!」
「コロナ明けたら〇〇しよう!!」
これ、まあ言ってる事は分かるし、否定批判もしないし、その通りだし、ちゃんと今は自粛できてて良いんですけど、
何をもって「終わり」なのかが全然わからなくて、
例えば、感染者数が0になったら終わりなのか、緊急事態宣言が解除されたら終わりなのか、ワクチン・治療薬ができたら終わりなのか、それとも社会の雰囲気が「終わり」として許容したら終わりなのか。
「コロナ終わったら」と発言してる人の中に、明確に「こうなったら終わり」と線引きしてる人がいるのだろうか。
いや、多分いなくて、僕も何をもって終わりなのかが全くわからないし、感染者が0人なんてまあほぼ無理だし、緊急事態宣言は6日までだけど伸びるかもしれないし、解除されても感染者はある程度いるし、ワクチンは1年以上かかるし、
って事を考えると、やっぱり
「社会の雰囲気」で「終わり」をイメージしてる人が多いと思います。てかほとんどそうだと思う。
特に何も考えないで、いつ終わっても良くて、ある程度社会の許容を待って、それに流されるんじゃないかなと思っています。
少しキツい言い方をすると、
「あまり考えてない人」が、
「コロナ終わったら」
「コロナ明けたら」
という言葉を使うのかもしれません。(結局、社会の雰囲気に合わせて、なんとなく外出していい雰囲気になるのを待っているだけで、実は自分ではあまり考えてないパターン)
こうして毎日ブログを書いているので、「言葉の違和感」に少し敏感になっていて、「その表現適切かな?」って思うことがよくあります。
今回がその一例で、そもそも「コロナって終わるものだっけ?」「コロナ明けるって何?」という疑問があったので、その言葉ってなんで出てくるか考えてみました。
「あー、今はこんな時期だからちゃんと自粛してるな。考えてるな。」ではなく、
「あ、この人あんま考えてなくて、なんとなく社会が許容する雰囲気に乗っかる人だな」って思ってしまいます。
ただ、僕自身、コロナがどう収束してくのかもわからないし、どう生活が変わっていくかわからないので、「社会の許容」が一つの基準になり得ると思っているので、否定はしませんが、もう少し色々考えた方がいいな〜と思います。
ちなみに「コロナが落ち着いたら」の方がいい気がするのですが、それも結局、社会の許容かな?
でもなんか、「コロナ明けたら!」より知性は感じる笑
「コロナ明け」とか、アホそう笑(偏見ですすみません。)
言葉って難しい。
今はちょっと大変だけど頑張ろうね。
また明日!
追記:「コロナ終わったら」と発言してる人全てが「思考停止のオワコン人間」と言ってるわけではありません。もしかしたらそういう人が多いのかなと思っただけです。「俺はちゃんと考えてるわ!」って言われても、「はあ、そうですか」としか言えないのでご容赦ください。
しばらく動画を投稿しなかった理由を説明します。(提供今井智也様)