人と出会う事、繋がる事によってハマる多様性の沼
おはようございます。偉そうに「自己肯定感を上げる為には」とか言っていますが、本当は自分に自信が全くない事に気がついたはっさくです。
昨日の記事の最後に「こうして、色々な人と出会って、刺激もらえるのはいいのですが、一方で、自分がいかにちっぽけな存在かを思い知ります。」と書いたのですが、
これを最近は結構実感していて、その事について書きたいと思います。
普通は「人との出会いが、人生を豊かにし、新しい発見や視野が広がり、可能性が大きくなる」みたいな、とにかく良い意味で扱われています。
もちろん僕もそう思うし、何度も言うけど、去年のキャンプでの出会いは本当に最高だったし、上記の通りです。
もっと色々な人と出会って、「たくさんの考えに触れたい」とか、「色々な人の話を聞きたい」とかすごく思います。
これら自体はすごく自分の為になるし、「人との出会い」ってものすごいエネルギーみたいなものを感じたり、なんだろう、形容し難い良い感覚を得る事ができて、推奨されるべき事なのですが、
一方で最近思う、「人との出会いが多様であるが故に感じる、自分の存在の小ささ」というか。
沼にハマる感覚。いや「溺れる」っていう方が表現は近いかもしれないです。
「井の中の蛙、大海を知らず」
っていう言葉がハマってて、これは「狭い世界に閉じこもって、広い世界を知らない」っていう意味です。
「もっと広い世界を知った方がいいぞ」っていうニュアンスで使われる事が多くて、僕もその通りだと思うし、広い世界は知っておいた方がいい。
ただ、いざ大海に出てみると、そこには凄い人はたくさんいるのは当たり前で、なんだろう。溺れちゃうですよ。
広い世界(視野、考え、価値観)を知っちゃうが故に、それこそ自己肯定感というか、そういうのが薄れていくような感覚があります。
西野さんのオンラインサロンの実験で、今様々なサロンメンバーさんと繋がれているのですが、本当に色々な人がいて、「あ、凄い人いっぱいいるんだなぁ」ということを実感したと同時に、多様性の沼に溺れていく感覚を覚えてしまいました。
とは言え、井の中で大将風吹かせて、ドヤ顔してても意味がないのはわかっているのですが、良かれと思って、色々な人と出会い、繋がる事が、また、人生を豊かにすると信じて、出会い、繋がる事が、
実は少しずつ自分の居場所を沈めていて、気がついたら溺れているみたいな。そこの恐怖感を感じます。
でもそこの恐怖感と豊かさのバランスって多分非常にセンシティブで、難しくて、意識するともうどこにでも沈んでしまいそうな沼だと思っていて、なんだか戦いのよう。(意識しないほうがいいのかもしれない)
もう「どっちが正解か」なんかなくて、「豊かさ」と「恐怖感」の二面性は人によって感じ方は違うし、タイミングとかによっても変わってくるような気がします。
普段はそんな事考えもしなかったけど、最近そんなことを感じたので文字に起こしてみました。
それで悩んでいるわけではないのですが、こんな事をわざわざ考えてる時点で自分に自信がない事がよくわかりました笑
この記事は「人と出会う事の是非」ではなくて、「人と出会う事によってもたらす要素」みたいな話なので、何が正解とか不正解とかないし、これは一生付き纏いそうな気がしています。
こういう答えがわからない、正解のない、感覚的な問いがすごく面白い。
不器用な人はあまり深く考えない方がいいかもしれない笑(完全に溺れちゃうから)
まあ、色々言ってるけど、僕は今まで通り、色々な人と出会って、人生を豊かにしていきたいと思っています!(本来はこっち派)
「恐怖感」とはうまく付き合っていきたい!よろしくな!
といわけで、ちょっと何言ってるかわからないかもしれないけど、それはまあ会った時に聞くか、電話で話しましょう。
それでは!また明日!
[生き物飼育]アゲハチョウの羽化シーンを捉えた!(提供今井智也様)