「孤独」と「繋がり」が形成する「人間らしさ」のアンバランス感

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 おはようございます。今月のカードの引き落とし額がえげつない事になっているのに、人のクラファンにカードを切りまくるはっさくです。

 

 さて、これでもか!っていうくらい睡眠を取ってしまったため、今日はアウトプットするものが特にありません。

 

 なので、昨日の散歩で撮った写真を振り返えりつつ、なぜこんな写真を撮ったのかを思い返してみたいと思います。

 

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 「夜中にフラッシュを焚いて撮るのが結構好き」っていうのはかなり前の記事でも書いているのですが、その時に「孤独感がいい」みたいな事を言っていて、

 

 多分、割と「孤独」っていうのが好きなのかもしれないです。

 

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 孤独ってまさに自分と向き合う時間。とは言え、人との関わりがあってこその「人間」。

 

 以前、僕の大好きな「安藤令奈」という永遠に片想いしている女性がこんな事を言っていて、

 

人と人は″間″があって、そして人間になります。

その″間″は、スマホの中ではなくて

直接的な場に生まれるはず。

 

他者がいるから、自分をよりいっそう考え他者と時″間″を分け合えるような場。

以下略。

 

 「孤独」とは相反するもの。

 

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 NARUTO我愛羅がこんな事を言っていました。

 

人は孤独には勝てない。

 

 つまり、人との関わりを求める。他者と時間を共有することが人間らしさというか。人間の本質のようなもの。

 

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 僕は「孤独が好き」なのかもしれませんが、一方で、他者との繋がりも好きです。むしろそっちの方が好き。

 

 人と関わり合うという、「人間らしさ」と、人間誰しも一度は感じる「孤独」と、その需要みたいなもの。(「孤独」であることも人間らしさが垣間見える)

 

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 そこのアンバランス感というか、矛盾。

 

 人が人である為の「孤独」。

 

 人が人である為の「繋がり」。

 

 なんか以前のナルトとサスケみたいな。どっちの言い分もわかるなぁっていう。

 

 強くなるために「繋がり」を断ち切って「孤独」になったサスケと、「繋がり」の強さを信じたナルト。

 

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 「孤独」「繋がり」「自己肯定感」とか、その辺は一生解けない難問のような、決して正解のない終わりなき問い。そして、人の数だけある解答へ向かう無限のアプローチ。

 

 そんな答えのみつからない感覚が好き。一生考え続けられるお題というか。

 

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 「感情」をストレートに表現する写真が好き。映えとかどうでもよくて、「撮りたい」って思った感情を大切にシャッターを切る。それだけ。

 

 写真家の蜷川実花さんが、

 

呼吸をするように「撮りたい」という気持ちで撮る。

 

 って仰っていたのが印象的で、

 

 感情の赴くままにシャッターを押す。そんな時間が好きです。

 

 と、写真家でもなんでもない、ただ適当にフラッシュ焚いて撮ってるだけのポンコツ素人が言っています。ごめんなさい。

 

 それではまた明日!

 

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