睡眠という罪悪感に駆られる毎日
おはようございます。少しブログのテイストを変えてみました。ある種実験的な要素もあるのでまあ気にしないでください。
さて、タイトルの通りです。寝ることに罪悪感を覚えます。
人間の3大欲求である、睡眠欲。仕方ない事だとはわかりながらも、眠る事が罪のように感じます。
「お前みたいな凡人は寝てる暇があるなら手を動かせ」
「寝てる暇なんてないぞ、圧倒的に手を動かして結果を出せ」
と、言われているよう。
そう言い聞かせ、力尽きるまで手を動かして、結局寝てしまう。少しの時間だけ寝るはずが、しっかり寝てしまう。
そんな終わりのない、解消のしようがない罪悪感に毎日駆られます。
これはなんか宿命なのかな?みんなこの道を通るのかな?そうやって、圧倒的に手を動かした人が成功しそうだよね。
「いや量より質だよ」とかよく言うけど、量をこなせない奴が質なんか求めても、それは付け焼き刃にすぎないような気がします。
スポーツでも反復練習をするように、とにかく量。「成功するコツ」なんてよくあるけど、あんなの調味料にしか過ぎない。圧倒的に量をこなしている人が前提で、そこに少しだけ調味料を加えるのが世の中に出回ってる「成功のコツ」とか、「上手くいく方法」みたいなやつ。
「成功のコツ」の本を読んだって成功しないのは「圧倒的に量をこなす」っていう前提条件を満たしてないからで、調味料だけ食っても美味しくない。
まずは、肉を用意しないと。調味料は使えない。
だからこそ、圧倒的に量を、手を動かさないといけないのに、「寝てしまう」という罪悪感。
そんなんじゃいつまで経っても結果は出ないとわかっていながらも人は睡眠に勝てない。
「量より質」理論もわかるけど、それは努力をしない言い訳にも聞こえる。
とは言え、ただ量をこなしていても、やり方や方向がが間違っていたらそれは結果が出るはずもない。
一体、量が足らないのか、それとも方向が間違っているのか。その判断を自分でするのはなかなか難しいものがある。
多分僕はまだ量が足らない。なんなら方向もわからない。此れ即ち地獄也。
そんな正体不明の敵と戦っております。
ただ、恐らくその正体不明の敵は自分の中にいる何かでしょう。
それに勝ち続けた者が結果を出せる者だと思っています。
「最大の敵は自分自身」なんてよく言うけど、その通りすぎるなぁと思っています。
それでは!
[生き物飼育]アゲハチョウの羽化シーンを捉えた!(提供今井智也様)