課題提出の際の「文字数指定」に関する違和感について考えてみた
おはようございます。今日は学校などの課題でよく直面する「文字数指定」について、考えてみました。
オンライン授業になって、コメントや課題を「〇〇文字以上、〇〇文字程度で記入しなさい」というのがよくあります。
もちろん、これらの文字数指定は一つの評価基準でもあり、生徒も、どの程度の文字を書けばいいのかという指標になります。
ただ、今日思ったのが、「文字数指定腹立つ」という感情でした。
例えば、「〜これらの原因を二つ挙げよ」みたいな問いに対しては、簡潔に「AとBである」で終わりますよね。せいぜい50字程度、長くても100字。
それを200文字以上で書けって言われて、なんだか腹が立ってしまって。
なんだろう。この、無駄な文字を使わなきゃいけないというか。文字の無駄使いというか。
本来なら簡潔にまとめて、よりわかりやすい文章になったのに、無駄に量増しさせる気持ち悪さというか。
で、なんか今書いてて気づいちゃったんですけど、課題の200文字ってすごく大変だけど、ブログの1000文字って意外とあっという間というか、楽なんですよね。
「いつもブログ1000字書いてるから、課題の数百字程度なんか余裕だ」とたまに思うんですけど、いざ、課題にとりかかってみるといくら興味ある内容といえど、それなりに大変に感じます。
多分この正体が「書き言葉」と「話し言葉」の違いで、今このブログって話し言葉なんですよね。だから意外とスラスラ言葉が出てくるし、「なんだろう」みたいな接続詞的な言葉も違和感なく使えます。
一方で「書き言葉」である課題なんかは、ガチガチの書き言葉で、「〇〇なんですよね」が「〇〇である」っていう風に書かなきゃいけなくて、普段そんな話し方も書き方もしてないから全然言葉が出てこないし、続きません。
この点を踏まえると、文字の量増しの違和感と気持ち悪さが結構見えてきて、
「書き言葉」の量増しって気持ち悪くないですか?違和感ありますよね。そもそもどうやって量増しすればいいのかわからないし、無駄に言葉を使わされてる感覚。
でも「話し言葉」の量増しはあまり違和感がなくて、まあ量増しというか、さっきいった「なんだろう」みたいな接続詞的な言葉って量増しの要素もあるし、別に違和感ないですよね。
その人の個性というか、話し方みたいなのが味になってあまり不快感がないように感じます。
これは多分「話し言葉」で書いてる本人も読んでる本人もしかりだと思います。
結論、「話し言葉」で課題を提出できれば良いなぁと思いました。
以上!
今回は書いている最中に気付く点があってめちゃくちゃ面白かったです。
やっぱりこの違和感の正体シリーズが面白いです。
それではまた明日!
「昆虫隊長」と名乗る男の自粛期間中の1日の流れ(提供今井智也様)