質問箱に見出す「日常」×「自分の物語」と匿名の価値

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 おはようございます。今日は質問箱について考えてみたので言語化してみました。(厳密には考えながらの言語化)

 さて、Twitterとか最近ではboxfresh(インスタ版質問箱的なやつ)をよく見かけると思います。僕もTwitterで質問箱をやっているのですが、

 

 単刀直入言うと、くだらないです。

 

 じゃあなんでやってんだ?っていう話に関しては「暇つぶし」だと思ってください。

 

 何が「くだらない」かと言うと、「匿名性」という点です。匿名の質問に真剣に答える価値なんて正直無いと思っています。本当に聞きたいことだったら実名でしっかり聞いた方がよくないですか?

 

 だから、送る方も暇つぶしで、答える方も暇つぶしだと思っています。匿名に時間と感情を使うことがもったいない。

 

 では、なぜ質問箱系が流行るのか。

 

 端的に言うと「日常」×「自分の物語」という事が考えられます。

 

 「映画」は「非日常」×「他人の物語」

 「テレビ」は「日常」×「他人の物語」

 YouTubeなんかもそうですね。(発信者側は「日常」×「自分の物語」)

 

 「ヨガ」は「日常」×「自分の物語」

 「旅行」は「非日常」×「自分の物語」

 

 こうやって物事を分けて考えた時に、現代は受信側から発信側の気持ちよさ、つまり、自分の物語を語る事の快楽を感じています。

 

 普段テレビの中でしか見てこなかった有名人の「日常」に憧れ、今では発信するツールがある事で「日常」×「自分の物語」を実現する事ができています。

 

 シンプルに「質問いっぱいくると嬉しいよね」っていう話もありけり。

 

 ブログとかも「日常」×「自分の物語」で、とにかくみんな発信したがってる。「サグラダファミリア行った!」よりも「サグラダファミリア作った!」の方が「いいね」もらえるから。

 

 話を戻すと、匿名の質問に日常性を感じるだろうか。僕らは有名人でもない。匿名でバッシングされる事や匿名で下ネタを言われることなんてもはや「非日常」。

 

 ここまで書いてきて、冒頭と一体何のつながりがあるのかわからなくなってきたので今日はこれにて終わりたいと思う。

 

 何が言いたかったかと言うと、「日常」×「自分の物語」を語れる質問箱系が流行ってるのはそう言う事であるのと、僕は匿名の質問の価値に疑問を感じているので暇つぶしでしかないよっていう話でした。

 

 答えたくない質問は問答無用にゴミ箱にぶち込んでます。(恋愛系とか俺に聞いてどうするん?絶対botだろって思いながらゴミ箱にポイ)

 

 匿名なんてその程度だから、答えたいやつだけ答えればいいし、それで何が悪い?って話。

 

 わー!!疲れた!!

 

 最後雑でごめんだけどまた明日!

 


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