第一声の恐怖感とモテる人について
おはようございます。やってまいりました。バイト帰宅中のブログ執筆お時間です。あと30分以内に書き切ります。応援してください。
さて、昨日個人的に思った事があって、その事について言葉にしていきたいと思います。
西野さんのオンラインサロン限定のTwitter村があってそこで初めてツイートをする時の感情です。
内容は、
一応「昆虫隊長」と名乗っているので、サロンメンバーさんの為になる情報や豆知識を発信したいと思います。
とりあえずよく家に出てくるクロゴキブリは餌なし、水なしで約1ヶ月は生きます。(ちなみに個人的な実験で密閉したタッパーにクロゴキブリを閉じ込めて餌なし水なしで2ヶ月生き延びました)
です。
普段の僕を知っている人や、対面のある方はこんな内容のツイートなんて普通だと思います。むしろ軽い。
しかし、昨日ツイートする前に湧いてきた感情は恐怖感です。
恐怖感の正体は「受け入れてくれるか否か」だと考えました。
理念や価値観で繋がっているとはいえ、お互いに全く知らない人への第一声って「こんな怖いんだ」っていうのが素直な気持ちでした。
自分の好きな事を素直に言うって案外ハードル高い事だと気がつきました。今まで普通に「俺は虫が好き」ってなんとなく言ってたけど、
未開の地で、それこそ、村八分に会うんじゃないかという恐怖感。
自分の好きなものを発信した時に、もし受け入れてもらえなかった時の負の感情って相当ですよね。
「みんなの好きな事教えてよ」って簡単に言っていたけど、実は意外と無神経な事をしてたんじゃないかと。
「本当は好きな事あるけど」っていう人は一種の自己防衛だったのかもしれない。もちろん本当に好きな事がないorわからない人もいるけど。
でも正直受け入れる側の許容だと思っていて、最近は初対面でも1発目に「虫が好き」って言うようにしていて、それで受け入れてもらえないなら別にいいし、
逆に受け入れてくれた人って本当に神様に見えるし、去年のキャンプで受け入れてくれて、さらに関心まで持ってくれた彼ら彼女らはやっぱり天才だなぁと。
受け入れの天才というか。
サロン限定のTwitter村でも目立った拒絶はないのですが、聞く力と受け入れる力がある人。受け入れの許容が天才的な人はモテるなぁと思います。
自分を受け入れてくれたみたいで好きになっちゃう。
自分の好きな事を否定されたら自分自身を否定されているような感覚になるから、自分の好きな事を受け入れてくれると、自分自身を受け入れてくれるような感覚になって嬉しいよねっていう話。
逆に相手の「好き」を聞く時はちゃんと聞いてあげた方が良さそうです。
当たり前だけど、なんで?っていうところを今日は言語化してみました。
やっぱり頭ごなしに否定する人はモテないし、ダサいなぁという話です。
「好き」を受け入れ合うと「好き」が増して誰も傷つかないし、せっかくならそういう関係の方があったかくて好きです。
以上!また明日!
[生き物飼育]毒を持つ毛虫が繭を作り、そこから出てきた蛾がハムスターすぎる(提供佐々木颯太様)