「継続する事に意味があるのか」それとも「意味があるから継続できているのか」
おはようございます。どうやら明日で毎日ブログ更新を開始してから7ヶ月経つみたいです。(すごくない?)
さて、「明日で7ヶ月か〜」となんとなくバイト先で口にしたら、思いの外褒めていただいて気分が良くなってしまいました。
よくこうして、「俺毎日ブログ更新してるのすごくない?」みたいな事を言ってると思うのですが、自分ですごいと言わないとやってられないし、誰にも言われないのでたまには言わせてください。
で、何がすごいってやっぱり口を揃えて「継続する力」だと言われます。
「1日1000字更新って単純な話『あああ』って1000回打てばいいわけだけど、それでも俺にはできない」ってバイト先の上司に言われて。
「たしかにな〜」と思ったのと、ただ厳密に言うと、「アウトプット」と「作業」の違いだと思って、「意味があるか」「ないか」みたいな。
何回も言いますが、こうして毎日1000字書いていると、話のネタというか手札が自動的に増えて、言語化する事で思考を整理する事ができるので、それなりに意味を見出しています。(たまに誰も読んでないのに何してんだろうとか思うけど)
でも「あああ」って1000打つ作業はただの時間の浪費で、おそらくそこに意味はないし、あまり価値もありません。
そう考えると、「継続する事に意味があるのか」、「それとも意味があるから継続できているのか」の2つに分かれそうだなって思って、僕はどっちだろうなぁと考えた時に、
「意味があるから継続してるのかなー」って思うようになっていて、前までは「継続する事に意味がある!」って思っていたのですが、なんだか違うような気がして。
とは言え、このブログでのアウトプットはあまり人の為になっていません。(今は自分の為レベルの記事)
というか、視点の違いだとも思って、ブログの内容で評価してない人は、「継続がすごい!」って言うけど、内容を読んだ上で評価する人は、「この内容はよかった!」で、
「継続すごいね!」よりも「あの記事面白かった!」って言われたいんですよね。
つまり、まだそこまで内容が評価されていない現実から言えることは、まだまだ「意味のあるもの」として認識されておらず、「継続していること」として周囲からは評価されているということです。
わかりやすい例で言うと、キンコン西野さんはオンラインサロン(クローズドなコミュニティ)で毎朝2000字程度の最新ビジネスの記事を書いているのですが、
これは「継続すごいね!」はもちろんあるのですが、「意味があるから継続できている」という次のステージにいっている気がして、現に、西野さんの記事には需要があり、サロンメンバーは内容を評価し、中身を知らないサロンメンバー外は継続を評価しています。
自分の中では「意味があるから継続できている」と思っているけど、実はまだまだ「継続していることだけ」が評価されているだけだよ。というのを実感しました。
だからこそ、昨日の記事ように「意識高い系きもい」止まりなんだと思います。
西野さんのサロンで「意識高い系きもい」と思わないのは「意味があるから」で内容が評価されているからだと思いました。
表面だけの「継続しているすごい!」止まりだから「意識高い系きもい」になるんですね。昨日の記事の続きでなんとなく納得できました。
じゃあ僕はこれからその次のステージに向かなくてはいけなくて、「継続しててすごい!」はもう前提で、「この記事面白かった!」を増やさなければいけません。
個人的には4月、5月、6月と入ってきて、ここ最近はまあまあ面白い記事を書いていると思います。(一年前の記事とかはまじでなんもおもんない)
だからこそ、是非読んで欲しいなぁーと思っています。っていうことを読んでいる人に向かっていうのも変な話ですが。
まあ「毎日すごい!」もすごく嬉しいのですが、「あの記事面白かった」と言って頂けるとさらに嬉しいです!
そんな事を考えながら帰宅!
今日もお疲れ様!また明日!
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