答えを出したくない

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 おはようございます。そういえばずっと「答えのない問いが好き」と言ってるのなんでだろうと気になったので言語化していきます。

 

 僕は数学とか理科とか計算で答えを導き出す系の科目があまり得意ではありません。普通にバカっていうのもあるし、計算ミスすると必ず不正解になるから。

 

 もちろん論理的で納得するし、説明するときはしっかり答えを導き出して(データを提示して)話した方がわかりやすい。

 

 一方、国語が好きでした。得意だったのかな?一応試験の成績は一番良かったし、もう何度もお話している通り、中学の国語が結構面白かったからかもしれないです。

 

 国語もテストがあるので、ある程度の答えは用意されているのですが、それは○か×をつけなきゃいけない評価システムだからで、例えばA、B、Cの評価システムだと「不正解」が無くなる問題もあります。

 

 採点者側の主観が入ってしまう難しさもあるのですが、計算ミスによる「不正解」とか存在しないんですよ。

 

 つまり、「筆者の気持ち」が問いだったとすると、それぞれ筆者の気持ちを想像しますが、一言一句同じ回答になる事は珍しいし、むしろ全く逆の回答になることもあるし、言い回しや表現の仕方が多様になってくると思います。

 

 「気持ちの想像」なんて人それぞれ育ってきた環境などによって異なるもので、その多様性の回答が「不正解」のない面白さだと思っています。

 

 「答えがない」って結構地獄に感じる人もいると思うのですが、「考える余白」が用意されていて、なんか、自由に絵が描けるキャンパスのようなもので、そこにどんな絵を描くかは人それぞれで、その絵を見るのが面白いと思うんですよ。

 

 「え、その余白そんな使い方したの!?」

 「その色の組み合わせ思いつかなかった」

 

 とか、表現の余地というか、思考の余地があって僕は結構好きなんですよね。

 

 「常に疑問を持っていたい」みたいなことはないのですが、「なんでもかんでも答えを出したくない」っていうのは正直あって、

 

 今まで答えのない問いをこのブログでも書いているのですが、納得はしても、結論は出てない状態です。

 

 そっちの方が今後も考える余地があって、面白い。

 

 あえて余白を残すことによって、その時には持ってなかった色の絵具を使えるかもしれない。

 

 その新しい色の絵具は、これから出会う人たちの考えや価値観で、その色にキリはないし、せっかく綺麗な色を手にする前に余白を埋め尽くしちゃうともったいないと思っています。

 

 せっかくなら色々な色で表現して、人生を豊かにしたいので、「答えを求め続ける」っていうのが個人的には面白いです。

 

 人の数だけ色があるので、多様な色と出会って、キャンパスに描き加えたいです。

 

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 それじゃ!また明日!

 


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