「女子力」という言葉によって作り上げられた「虚像」

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 おはようございます。土日は基本的にダラダラしてるので内容が薄くなる事が多々ありますが、勘弁してください。

 

 さて、「女子力」とか「男らしさ」っていう言葉がもう古いなぁと感じています。

 

 だいたい何をもって「女子力」なのか。どういう人が「男らしい」のかなんて、実際誰が決めたわけでもなく、古くからの性のイメージで作り上げられた幻想でしかありません。

 

 「男なのに女子力高い!」という発言は、女性のイメージを勝手に決めつけて、「女子たるものはこうあるべきだ!」と言わんばかりにハードルを上げ、「女性」という「虚像」を作り上げています。

 

 実にくだらないと思っています。

 

 そうした勝手に作り上げられた「虚像」のイメージから外れるものを「女子のくせに」とか「男のくせに」などという言葉で片付けます。

 

 「個性を尊重するべきだ!」と誰もが言う割には、なかなかそうなっていないのが現実です。

 

 まあそれを一番体現してしまっているのが、教育現場であり、「学校」なのが残念です。

 

 「男」とか「女」とか、そういったフィルターがあるとなかなかその「人」が見えてきません。

 

 「性」というものがある限り、難しい問題ではありますが、恋愛というものに興味が無くなると、「性」より「人」が見えてくるので、この視点はかなり良いです。

 

 普段何気に使ってる「女子力」という言葉も、違和感を感じるようになるので、ぜひ考えてみてください!

 

 短いですが、今日は終わります!

 

 それでは!また明日!

 


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