不確かな未来へ進む自分への精神安定剤
おはようございます。昨日の夜中ふと思ったことをそのまま書き出していこうと思っています。
これ、昨日の夜中に思ったことなのは確かなのですが、たまに「これ」を思います。何回か自覚症状というか、定期的に感じることがあって、多分ブログでも書いたことがあるかもしれませんが、まあそこは許してください。
僕は1日1000字程度のブログを書くことと、金曜日以外の筋トレが日課です。(植物の水やりとかもろもろあるけど、自分に課しているのはだいたいこの2つです)
「なんで毎日ブログ書いてるの?」
これに対しての回答は、「思考の言語化による気持ちの整理」や「会話の手札を増やす」、「アウトプット場所を無理やり設定してインプットの吸収率向上」など、明確なそれっぽい回答があります。
「なんで筋トレしてるの?」
これは「モテたいから」とか「だらしない体にしないため」などの回答ができます。
表向きは上記の通りに答えて、あたかも「すごい事」のように話すことがあるかもしれませんが、昨日というか、時々感じるのは、ただの精神安定剤だなぁという事です。
やりたいことで食っていくにはどうしたらいい?
好きなことで収益化するにはどうしたらいい?
ニーズは?ビジネスモデルは?
もちろんここらの解像度は低く、1日、また1日と不確かな未来へ進んでいきます。明かりなんて見えません。お先真っ暗ってやつです。
人は、先に進んでいることを確認できないと精神的にダメージを受けるみたいです。
マラソンもゴールが無いと走れないのと同じように、一歩ずつ前に進み、あと何kmか明確に分かり、今自分がスタートからどれくらい進んだのかが数字でわかります。
一方、進んでいるかどうかわからない日々は時に地獄です。そこで、少しでも精神的にダメージを軽減してくれるのが、日課であり、ルーティンです。(僕の場合ブログや筋トレ)
今日で何記目!
最近、筋肥大してきた!
そんな事を確認して、精神的安定を保っています。
何も進まない日々をブログと筋トレで誤魔化しているとも捉えられます。「今日もブログ更新できたから良し」みたいな。
本当は不安で、焦らなければいけない状況を、ブログと筋トレで誤魔化しているのです。薬物のように。
貧困の社会学という授業で、「安定した生活が貧困から脱する一つの指標」という事を学んだのですが、まさに同じで、僕はブログと筋トレという薬物を使って(精神的に)安定した生活を送っているみたいです。
ルーティンが1番近い表現だと思います。バスケでフリースローを打つ前に決まって「何回かドリブルをつき、手の上でボールを回す」あのルーティンは平常心でシュートが打てるようにやる一連の流れです。
僕は精神的に安定した1日を送るルーティンとして、ブログと筋トレをしている事になります。
毎日の積み重ねになるはずだったブログも筋トレも、実は「前に進んでいない事を誤魔化すための薬物」なのかもしれません。
恐らくですが、ブログを辞めたら病むでしょう。
精神安定剤とは言えて妙だと思っていて、「やらないいけない」ではなく、「やらないとまずい」という次元に移行しているようです。
そんな事を思いながら、ブログを書いているので、重症なんだと思います笑
病んでいるわけでも、メンタルがやられているわけでもないのですが、たまにこういう風に自覚して言語化しておくことも必要だと思って書きました。
以上です!
また明日!
追記:病みやすい人とか、何か日課を決めてしまえば良さそうじゃね!?精神安定剤になるよ!
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