ノイズが多すぎる世の中だが、写真は思考する余白がある
おはようございます。これから福岡に向かう為、朝6時に成田空港行きのバスに乗っています。眠い目を擦りながらブログを書いているんだということを把握したうえで読んで頂けると幸いです。
さて、先日行かせて頂いた個展は、写真をメインに展示していたのですが、ある説明書きでこんな言葉を目にしました。
世の中ノイズが多すぎる
写真は音の無い世界
その場でメモしたので、一部抜粋し、端折った形になりますが、まあ言いたいことは伝わりますよね。
僕もこれ、「確かになぁ」と思って、妙に心に残っています。
今の世の中は、情報や声がやたらと多く、声に関してはSNSの普及により、個人の声のサイズも大きくなりました。
情報が多いことはとても良いことです。情報は武器になります。
しかし、膨大な情報を前に、私たちは処理しきれず、ついには考えることをやめてしまいます。
ノイズがあることに慣れすぎてしまい、なんとなく日常を過ごしているような感覚があります。
何か作業していて、耳だけ空いてる時に、BGMが無いと落ち着かないような感覚。
日常はノイズだらけで、聞きたくも無い事も耳に入ってくるし、心地よく無い音も流れてきます。
しかし、写真は音がありません。
写真には落ち着いて思考する時間が設けられています。
なぜ、この瞬間でシャッターを切ったのか
なぜ、この場面を切り取ったのか
どういう感情で撮ったのか
何を伝えたいのか
そういった手がかりは無音の世界にある、自分の想像力に委ねられます。
なんだか、それがいいなぁと思っていて、たしかに、前回のブログ記事で、作品に対しての説明はある程度必要だと書いたのですが、そこに思考する余白を残しておくことも大切だと思います。
ただ、説明があって、「へえ、そういうことか」で終わっても面白くない。
ゆっくり眺めて、思考する時間こそが写真の面白さなのではないかと、思いました。
何を感じとるかなんて人それぞれで、多分そこが面白いポイントなんだと思います。
写真には音も言葉もないけど、思考の余白があってなんだか素敵だなぁと思ったオール明けの朝でした。
それではまた明日!
追記:朝のうちに書き終えるとすがすがしい気分になります。
[生き物飼育]クロアゲハの羽化シーンをタイムラプスで撮ってみた!(提供佐々木颯太様)