感情論を持ち出す前にしっかり考えろ
おはようございます。毎度うちのカメが面白い格好でバスキングしてくれるので毎回可愛くて見てしまうはっさくです。
さて、生き物に詳しい人や、生き物が好きな人達は世間的に見たら一見「残酷」な事を考えたり、実行したりします。
今回はそれについて書いていきたいと思います。
例えば、飼育している生き物が死んだら、「火葬」か「燃えるゴミ」にするということに対して、「可哀想」、「埋めてあげて」、「死ぬ前に逃してあげなよ」と思われがちなのですが、他の環境から採集してきた生き物や、海外の生き物は持っている菌や寄生虫が異なるので、基本「埋めてはいけない」んです。
庭で採集した、生き物を庭に埋めるならオッケーですが、亡くなった生き物の処理は火葬が1番です。
それから他の環境から採集してきた生き物を別の環境に逃すと、生態系の変化や、遺伝子汚染の恐れがあるので、絶対に流してはいけません。
また、標本にするときも「可哀想」とかよく言われるのですが、明らかな絶滅寸前の種でない限り、その環境から1匹採集して標本にしても、ほとんど影響はありません。大切なのは環境で、標本に残すことによってきちんと記録し、その環境を守る事が大切です。
もちろん、中にはモラルを逸脱した人もいるかもしれませんが、「一見残酷に見える」事にはちゃんと意味があります。
そもそも、殺戮の趣味は無いので、「可哀想」と思っていないわけがないんです。ただ、そこには「感情論」で片付けてはいけない問題が山ほどあります。
だからこそ、非情に見えても、残酷に見えても、ちゃんと意味があるし、ロジックがあります。
よく、「猫は室内飼い一択だ」という意見に対して、「外で飼ってあげないと可哀想だろ」とか言う人がいるのですが、そもそも猫はペットとして輸入された生き物で、いわば野良猫は外来種です。
外飼育されている猫は在来のトカゲや小動物を殺します。もちろん排泄もするので、近隣の迷惑にもなります。
だから野良猫に餌をあげてはいけないし、野良猫はいてはいけない存在なのです。
こういった話をすると、必ず「感情論」でマウントをとってくる人がでてくるのですが、僕だって猫は好きだし、「可哀想」だと思っているけど、それよりももっと大事な事があるだろということです。
「感情論」を持ち出す前にちょっと考えてみようよ。という話でした!
それじゃあ!また明日!