土を踏むということ。

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 おはようございます。「赤巻紙青巻紙黄巻紙」という早口言葉があると思うのですが、一体どういう意味なのかわかっていないはっさくです。(隣の客はよく柿食う客だ)

 

 

 さて、そういえば、都市部に住む私たちにとって、「土を踏む」ってなかなか非日常だなぁと感じました。

 

 よく考えると、道はコンクリートで舗装され、電車に乗り、オフィスに向かう。この日常に「土」は登場してこないんですね。

 

 しかし、もともとは、「コンクリート」なんて無く、土を踏んでいたはずです。

 

 日常が非日常に逆転した一つの例が「自然」なんだと感じました。畑作業なんて、昔は誰もがやっていたし、昆虫採集なんて、それしかエンタメが無かったので、それが日常でした。(多分ね)

 

 それが今では流通が発展し、エンタメが充実して、日常だったものが非日常に変わり、「畑作業」の体験価値や「昆虫採集」などの体験価値が上がったような気がします。(希少価値ってやつ)

 

 そもそも「土地」に価値が付いてるように、土が無いと、作物は作れないし、生き物は育ちません。(アスファルトから野菜は生えないよね)

 

 今更ながら、土のありがたみを感じているわけですが、土に還るとはよく言ったものだなぁと思います。

 

 「大地讃頌」という歌は、中学の時の合唱コンクールでよくご存知の方もいると思いますが、歌詞に、

 

 「大地を愛せよ」、「大地に生きる」

 

 という言葉があります。

 

 中でも、「大地に生きる」って、この世の全てを意味しているような気がしていて、人間や生物は大地に生きていて、大地に生かされているわけです。

 

 土が無いと生きていけないし、死んでも還らない。

 

 土に感謝し、土に生きる。それが生物。

 

 都市化を否定するつもりはありません。僕もその恩恵を受けている一人なので、二元論は成立しないと思っています。(カッコ良さそうだから使ってみたけど二元論って使い方あってる?)

 

 ただ、根本の生活は「自然」にある事は忘れてはならないと思います。

 

 非日常になった、「土」。触れる機会がないと思い出せず、そのありがたみも埋もれてしまいます。

 

 体験価値が上がっているからこそ、「土と直接触れ合う」畑作業をした時に、ふと「土に還る感覚」を覚えました。「これが生活なんだな」っていう感覚です。

 

 生物誰しも、土に生かされ、土に還ります。

 

 人としてではなく、この地球に生きる生物として、改めて、「大地に生きる」という自覚を持って生きていたいと思いました。

 

 「人の子ら土に感謝せよ」

 

 それでは!また明日!

 


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