好きという感情の矢印の対象の相違

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 おはようございます。街中のイルミネーションとか見てると、「こんなところに電気使わなくてもよくね?」と思ってしまうはっさくです。(星の輝きのほうが好きだなぁ)

 

 

 さて、僕はかれこれ3年近く恋人がいなく、パフォーマンスだと思われがちですが、そもそも恋愛自体に興味がなくなってしまい、「好き」という感情が完全に移行してしまっています。

 

 たまに街中でカップルを見かけるたびに「僕の『好き』とは別の種類の『好き』という感情があの人だけのものなのか」という自己解釈をしていて、素直に「それって素敵じゃん」って思うようになりました。

 

 恋愛感情を無くした僕の「好き」は「like」とか「favorite」の意味が強く、僕が持てなくなった恋愛感情の「好き」は「love」の意味合いが強いと思っています。

 

 その特別な「love」が、誰か1人が独占している状況って客観的に見ると、羨ましくも思う反面、窮屈にも感じます。

 

 でも、その狂気的な独占的感情ってシンプルにすごいなぁと思うし、ある種「素敵だなぁ」と思います。

 

 あくまでも客観的に見るとそう感じるので、本人たちはどうなんでしょうね。僕自身の体験で思い出してみると、たしかに、感情の太い矢印が相手に向いていたなぁと。

 

 あと、今思ったのが、好きという感情の矢印の対象の相違も関係してきそうな気がしました。

 

 つまり、僕の「好き」という矢印の種類は万物によって向けられ、恋愛感情がある人の矢印の種類は「人」と「それ以外」に分けられているんじゃないかということです。

 

人が対象の「好き」は恋愛感情の一種類しかないのではないかということだと思ったのですが、「いや、そんな事ねーな」と思ったので振り出しに戻りそうです。笑

 

 でも、対象の違いはありそうな気がします。

 

 いずれにせよ、恋人だけに向けられる「特別な好き」の矢印があるってとても素敵だなぁと思うし、別に求めるわけではないのですが、求めずとも、僕もそういった素敵な人に出会えるといいなぁと思うような思わないような。

 

 そういった「感情」と「言語」と「対象」についての恋バナだったら面白く会話できそうだし、うまく言語化できないのが悔しいので、一緒に深掘りしてくれる人は是非語り合いと思います。

 

 「恋愛感情ない」とか言っておきながら「実はあるんじゃね?」とか。なんか結局パフォーマンスなのかなぁとか。

 

 まあでも、よく考えたら、「恋愛しない」って言ってる人に「恋愛感情」があったら都合が悪いもんな。無理やり「特別な感情」を押し殺しているのかもしれないですね。

 

 はーい!終わります!

 

 また明日!

 


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