遠のいていく意識

f:id:hsk202:20210505122552j:image

 おはようございます。久しぶりに会う人に「痩せた?」と言われることが多いのですが、それが正しいと今頃、骨と皮になってそうだなぁと思っているはっさくです。(バスケやめたら10キロ痩せました)

 

 

 気がつけば1ヶ月経っており、重い腰をあげて筆を走らせています。(実際に腰も上げていないし、筆も走らせてないけど日本語の表現ってなんかイイよね)

 

 さて、今回は、「毎日ブログを更新していた時との変化」について綴っていきたいと思います。「何が変わったかなー?」と、ぼんやり思い浮かべていたのですが、そういえばしっかり言語化してなかったなぁと思い、今日に至ります。

 

 まず、誰がみても1番わかりやすい変化は、「言葉を使う機会の減少」だと思います。

 

 「1日1000字」が「1日0字」になったので当たり前ですね。これと同じように、「書く量」、「考える量」も減りました。

 

 「書く」という行為(アウトプット)をする為には、それなりに「考える」(インプット)をしなくていけません。

 

 毎日書かなくてもよくなったので、自動的に思考量は減ります。

 

 ここまでは、容易に想像できると思うので、ここからが今回の本題です。

 

 「思考量」が減ると、どうなるかということですね。

 

 ずばり、「意識が低くなる」です。

 

 ここで言う「意識」というのは、俗に言う、「意識高い系どうのこうの」のソレです。

 

 多分、ブログを毎日書いていた頃の僕って意識高い系だったと思うんですよね。(意識だけ高い無能)

 

 毎日、色々なことを考えたし、何よりインプットしようとしてた気がするので、そりゃ意識も高いよねっていう話です。

 

 で、毎日更新をやめた今の感覚を言葉で表すと、「意識が遠のいていく」という感覚です。もっとわかりやすくいうと、「色々とどうでもよくなってきた」というのが近い表現でしょうか。

 

 当たり前のように思考量は減ったし、何より「考えようとしなくなってきた」という変化があるように感じます。

 

 勉強のために入ったオンラインサロンも退会したし、「普通に働いて普通に暮らせればいいかな〜」とかも思うようになっています。

 

 なんだか、毎日を機械のように事務的に生きているような感覚です。以前は、やりたくもない仕事を満員電車に乗って「仕事やりたくない」とか言ってる人の気持ちがわからなかったのですが、今はなんだかわかるというか近い気がします。(気持ちがわからないというよりは、「じゃあ辞めればいいじゃん」と思っていた感じ)

 

 なんとなく日常を消化していくことに慣れてしまったのかもしれません。

 

 考える事をやめると意識が遠のいて、なんとなく生きる事に移行するかもしれないです。

 

 そのうち、考えもせずに何かを批判するような人間になってしまうのかと想像すると、それはちょっと嫌ですね。

 

 幸いYouTubeは毎日更新していて、何かしらの形でアウトプットする場所があるので、まだギリギリで耐えているという状況でしょうか。

 

 客観的に見て、「最近意識低いなぁ」と思いながらも、意識を高める気もイマイチありません。(意識が低いから高めようとも思えないのかもしれない)

 

 改めて、「考える」って「生きる」ことだなぁと実感しています。

 

 そういう意味では、こうしてブログを月一で更新することによって、定期的に考える機会があるのは良いのかもしれないですね。

 

 くれぐれも病んでるとかじゃないので!

 

 相変わらず誰も見てないYouTubeを続けてるよ!

 

 それではまた来月のゾロ目の日にお会いしましょう!またね!

 

追記:久しぶりに体調を崩して、かれこれ1週間くらいずるずると鼻水を流しています。今日は体温が37.5℃ありました。(熱があるもやらなきゃいけないことがある時の言い訳は「あれ、これ体温計壊れてるなぁ」で決まりです)

 

 


www.youtube.com

 

hsk202.hateblo.jp

 

 

hsk202.hateblo.jp