みんな違ってみんな良いはずなのに自分の正義を押し付け、他人に干渉する人たち
おはようございます。この時期になると、生き物飼育の欲がまたムラムラと湧き出てしまい、気がついたらヤフオクでゴキブリを探しているはっさくです。(沼)
さて、そういえば、「社会は多様性を受け入れ、個性を認め合おう」みたいな風潮があるくせに、「なぜ批判がなくならないのだろう」、「なぜ他人に干渉するのだろう」という事が疑問で仕方ありません。
「十人十色」という言葉がありますが、あれは、「みんな違ってみんな良い」という意味の言葉です。
『三省堂新明解四字熟語辞典』によると、
考え・好み・性質などが、人によってそれぞれ異なること。
という意味だそうです。
まあ、みなさん周知の言葉だと思いますが、これって小学生くらいの時から知っていることで、「みんな違ってみんな良い」って多分日本国民全員が知っている事だと思います。
しかし、それを知っていながら、現に「みんな違ってみんな良い」を認められる人がなかなか多くありません。
自分と違う考えの人を排除し、知らないものを嫌い、自分の生きてきた環境でしか物事を判断できず、自分の都合の悪い情報はシャットアウトし、赤の他人の不倫を叩き、にわかにマウントを取る。
明らかに矛盾しているこの現実は、単に学習能力が無いのか、個人のキャパシティの問題なのか、人間の性質なのか、よくわかりません。
自分が少数派になった時だけ、「みんな違ってみんな良い!!」とか言うくせに、「不倫なんかするなんて最低だ!」と自分の人生に何の関わりもない人の行動に干渉して口を出す。
「みんな違ってみんな良い」はずなのに、自分の正義を押し付けて、まるで「私の意見こそ、全人類が聞くべきである」と言わんばかりに周りが見えなくなっています。
多様性の受容とか、個性の尊重とか、言ってる人は多いけど、「多分そんな簡単に出来ることじゃねーよ」って思うようになりました。(そんなこと言ってる人ほどできてない)
そもそも、人それぞれ生まれた環境も境遇も違うわけで、一人一人違う顔やDNAであるように、人それぞれ正義が違うなんて当たり前の事です。
それが分かっていながら、他人の人生に干渉するってすごく不毛な事のように思えてきます。
だからこそ、他人の色恋沙汰とか、下世話な話とかの一切に興味がなくなりました。
みんな他人に興味持ちすぎじゃね?暇なの?(って思ってしまう)
「みんな違ってみんな良い」って本当に思ってる?
みんな違ってみんな良いからこそ、その人個人に目を向けて興味を持っていきたいですね。
僕もそうなれように頑張ります。
それでは!また明日!