日本語の使い分けによるエイジズムの関係性

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 おはようございます。高校の時からファンでずーっと推している子に「ブログもYouTubeも見てるよ」と言って頂けたので、「死ぬなら今かな」と思っているはっさくです。(お前は単純でコスパいいなほんと)

 

 

 どうやら昨日のブログも読んで頂いたみたいなので、さすがにミスター単純野郎こと、ワタクシは今日の記事に対して、肩を回すほどの気合の入れようです。

 

 さて、本題に入りますが、以前の「仲良い人に年齢なんて関係ない」という記事を書いたように、「人は年齢じゃねぇ!」という基本スタンスを持っていながら、特に初対面の人の年齢(年代)が気になってしまいます。

 

 年齢に対する偏見や固定概念など、エイジズムという概念を外して「その人個人を見たい」という思いはあるのに、「この人いくつなんだろう?」って正直気になってしまいます。

 

 これは多分、日本人であるかぎり、根本的なエイジズムってなかなか取り払う事ができない事なんじゃないかと思ってしまいました。(エイジズムの境界とかは人によって曖昧だと思うのでその点は一旦考えないものとしてください)

 

 「制度」の問題ももちろんあると思いますが、理由の一つとしては、「言語」が大きく関わってくると思っていて、具体的に言うと、「敬語」という、「目上の人を敬うという文化」です。

 

 他にも、「謙譲語」、「丁寧語」など、「日本語としての意味は同じ」だけど、「相手によって使い分ける」という独特の文化です。

 

 多分、日本語留学に来ている人からすると、この辺がすごくややこして、難しいと感じているのではないかと思います。

 

 例えば、「英語」で言うと、そもそも「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」という区分が無く、一般的には、「相手によって使い分ける」という事がありません。(たぶん)

 

英語の「sory 」という言葉は相手によって変わらないけど、日本語は「ごめん」「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ございません」という風に、相手によって言葉が変化します。

 

 これが、日本人が「年齢を気にしてしまう」という習性に大きく関わってきていると思っていて、我々は相手の年齢によって、失礼のないように言葉を使い分けるという文化があり、その反面、「人を年齢で見てしまう」という傾向が高いように感じます。

 

 普段タメ口で話しかけてくる子供が生意気に感じる事があるかもしれませんが、それは厳密に言うと、「使う言葉の種類を理解できていない」というところに起因してくると思っています。(まあ、それでも生意気なやつはいるけど、それは大人もしかり)

 

 昔は、生意気だった子が、流暢な言葉を使うようになるのは、単純に「言葉の使い分け」を学習したからです。

 

 多分この日本人のエイジズムは、日本語独特の「言葉の使い分け」や「種類」が文化と結びついており、これらが影響している事は、少なからずあると思っています。

 

 だからと言って、「どうしたい 」というオチでもないし、日本の「尊敬語」等の文化も美しいなぁと思っているので、別に否定的な意味合いは全くありませんが、どうしても年齢が気になっちゃうクセってどうにかならないかなーと思っています。

 

 それにしてもやっぱり言葉って面白いですね。

 

 さすがに気合を入れただけはあっていつもよりは面白い記事が書けたと思います!

 

 はい!それでは!また明日!

 

 追記:冒頭で申し上げた子はめちゃくちゃ素敵な人なので、会いたいなぁと思っているのと同時に、やっぱり僕なんかは永遠に片想い程度がちょうど良いんじゃないかと思っています。あれ、でも、ブログもYouTubeも見てくれてるって事は、両想いって事でいいんじゃ…(長い)

 


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