問題提起と具体的な議論は別の段階の話
おはようございます。畑で採れたルッコラが美味しくて、来年は自宅でルッコラも育てることが決まったはっさくです。(写真はカブ)
さて、地球環境問題の科学という授業で、15歳くらいの少女が気候変動の危機について演説している動画を見たのですが、コメント欄がなかなかの地獄具合で参っています。
コメントで多かったのが、「具体策を言え」です。
たしかに、「こうした方がいい」という明確な意見は無く、問題提起で終わった感は否めませんが、僕が思うに、「具体策を述べて議論する以前の問題」に感じました。
そもそも気候変動問題に対しての具体的な対策を明確化する事の難しさもあって、なかなか進まない現状はありますが、15歳の少女の勇気ある問題提起に対して、「具体策を言えよ」とか「薄っぺらい内容だった」とか「じゃあお前は何かやってるのか?」などと言った横槍が飛ばされていて、
ほとんど日本語でのコメントだったので、まあ日本人だろうという事で、本当に滑稽だなぁと思いました。
アクションを起こす以前に、問題意識を持てないところや、「具体策が無いと聞けない」人たちがいる現状は、かなり深刻なのでは、と動画を見て感じてしまいました。
「じゃあ、具体的にどうした方がいいのか」という事を一緒に考えればいいのに、「お前は具体策も無いのに問題提起しているのか」と言わんばかりで、ここから完全に他人任せで、他人事として認識している事がわかります。
だから議論にならないし、具体的に進まない。
今、僕も具体策が無い状況でこうして、ブログで問題提起させて頂いているので、まあ、「偉そうに言ってんじゃねー」的な声はあると思いますが、具体策が無いと問題定期してはいけないのでしょうか。子どもが問題定期してはいけないのでしょうか。
批判覚悟での演説に対して、結局他人事のように石しか投げられない人と何が違うのだろうか。偉そうにコメントで「具体策は?」って聞いてるお前は「具体策あるの?」っていう話で、そう聞かれたら「なんで俺が考えないといけないの?」とか言われるんだろうけど、その時点で完全に他人事になってしまっています。
問題提起して、「さあ、これから一緒に考えていきましょう」の段階すらも実現できない状況で、まさにアクションを起こす以前の問題なんじゃないかと思っています。
シンプルに、「たしかに、深刻な問題だよね。さあ、どうしようか」って思えない人たちが多く、なかなか厳しいなぁと。
じゃあ仮に、「明確な具体策」があれば、本当にそれに従って動くのでしょうか。それに対しても難癖つけそうな気がしてならないのですが。どうでしょう。
結局、自分も何もしてない(何もできない)事に対して、正当化する為の言葉が「具体策は?」なのかもしれません。
単純に世間に認知してもらう為の「問題提起」って大切だと思うんですけどねー。
はい終わります!また明日!