正解が無いもの
おはようございます。1ヶ月で1番嫌いな日がクレジットカードの引き落とし日で間違いないなぁと思っているはっさくです。
昨日のNewsPicksのThe Updateという番組の「アイディアを世の中に問う」っていう回がめちゃくちゃ面白くて。
ソニーが企画する24歳以下の若者のアイディアを実現しようみたいなプロジェクトで昨日がその最終選考でした。
見事グランプリを獲得した高校生の方の「対話をする絵本」がすげぇ面白いなぁと思って。ていうか、最終選考まで残った3組はもちろん、皆さんすごい面白かったです。
で、その「対話をする絵本」のプレゼンが終わった後に論客同士で議論するんですけど、その中で、ジャーナリストの田原さんが、
日本の教育には「対話」がない。
何故ないのか、
教師が正解のある問題しか聞かないからだ。
と、仰っていました。
まあ、教師云々の前に、日本は正解の無いものって排除されていく傾向が強いなぁと思います。
学校教育は常に正解を追い求めるカリキュラムになっていて(多分)、計算問題も暗記問題もそりゃもちろん正解を作らないと成立しないんですけど、
僕が高校の時の国語のテストがほとんど暗記問題で、読解力とか心情を読み取るとかじゃなくて、先生が板書したものが正解で、ノートを丸暗記すれば高得点が取れるような問題でした。
一方、中学の国語(あんまり覚えてないんですけど)は、先生が授業前に毎回小説を読んで、大事そうなところをノートにメモするっていうのがあって。
そのテストは自分の考察、作中の人物の心情を読み取って考察して、それを言語化する、いわゆる正解、不正解の無い書き問題でした。(この内容は以前のブログでも書いてあるので是非読んでください。ちなみに僕はこの手の問題が何故か得意でした。)
あと、教科書の内容をもちろんやるんですけど、4〜5人くらいのグループを作って対話して、発表するっていう授業もありました。
正解の無いものに対話は付き物で、対話をする事で価値観を共有したり、想像力を膨らませてクリエイティビティを養えて、今思うと、あの授業は秀逸だったと思うし、当時の国語の先生はすごかったなぁって今になるとわかります。(ちなみにその先生は板書をほとんどしませんでした)
でも、暗記系の授業の方が多分、授業する方も聞く方も楽で、板書されてる内容をただノートに写すだけで1時間が終わります。
もちろん科目によっての相性もありますが、中学生の時にあの授業を受けれたのはなかなか良い体験だったと思っています。
対話も考えるのも大変だけど、それをやらなかったから、想像力や共感能力を養えず、平気で他人を傷付けちゃう人が増えてきてるのかなぁと思います。
今回の「対話する絵本」が実現すれば、子育ても教育もアップデートできて、良い未来が来そうだなぁと感じます。
プレゼンも素晴らしかったし、考え方が素敵だったし、高校生でこの思考量に恐れ入りました。すごい。いやまあ高校生だからとかじゃないけど、今回エントリーした人たちの思考量、想像力がすごくてめちゃくちゃ刺激をもらえました。エネルギーがすごい。
是非昨日の放送を見て欲しいです。
正解がある安心感もわかるし、大事なんだろうけど、僕は正解の無いものが人間らしくて良いなぁと思います。
正解なんてAIやテクノロジーが解決してくれそうなので、やっぱり対話して、思考して、創造する時代が来ると思います。
だからこそ、正解の無いこの毎日更新のブログを続けていきます。
それじゃ!また明日!